自閉症の診断を受けた日。湯船で長男と人生を終えようかと考えた夜のこと
この記事は、私の人生で一番弱かった夜のことを書きます。
3歳で自閉症と中度知的障害の診断を受けた長男と、診断から数日後の夜。
お風呂の湯船に浸かりながら、私は本気でこう考えてしまいました。
「ここで一緒に、終わったほうが、この子にとっても楽じゃないか」
今読み返すと、本当に最低なことを考えていたと思います。それでも、当時の自分は本気でそう思ってしまっていました。
同じことを考えてしまっている親に届けばいいなと思って、隠さずに書きます。
生まれた瞬間の感動から、すべては始まった
長男が生まれた日のことを、私は今でも鮮明に覚えています。
妻が分娩室で長い時間頑張ってくれて、ようやく産声が聞こえた瞬間、「これが自分の子なんだ」と思った感覚は、何年経っても色褪せません。
小さくて、温かくて、頼りなくて。
この子のために、自分の人生を使っていくんだろうな、と素直に思いました。
その時の私には、これから先に起こる「診断の日」も「湯船での夜」も、何ひとつ想像できていませんでした。
保育園で言われた違和感
長男が1歳を過ぎた頃、企業主導型の保育所に入園しました。保育料も抑えられて、職場からも近くて、ありがたい環境でした。
しばらくして、先生からこんなふうに言われるようになりました。
「発語がまだ見られないですね」 「他の園児と少し行動が違うところがあって」
その頃に1歳児健診もあって、保健師さんからも「成長が少しゆっくりかもしれません」と伝えられました。
でも、その時はまだ楽観的でした。
「男の子だし、ゆっくりな子もいるって聞くしな」 「うちの子のペースで育っていくだろう」
そう思って、深く受け止めずに過ごしていました。今思えば、見たくないものから少し目を逸らしていたのかもしれません。
3歳児健診と、療育センターへの紹介
3歳児健診の日、保健師さんから明確に伝えられました。
「成長の遅れがありますね。一度、専門のところで見てもらいませんか」
紹介されたのは、鹿児島県立こども総合療育センターでした。
この時から、心のどこかでざわざわするものはあったと思います。でも「専門のところで見てもらえば、何か方法が分かるだろう」と、半分は前向きに受け止めていました。
予約を取って、その日を待ちました。
「自閉症ですね」と告げられた瞬間、目の前が真っ暗になった
療育センターでの診察は、思ったよりも淡々と進みました。
先生が、ぬいぐるみやおもちゃを長男に手渡して、反応をじっと観察していきます。長男はおもちゃに興味を示したり、目を合わせなかったり、私たちには分からない基準で先生は何かを見ていました。
そして、ひととおりの観察が終わったあと、先生は静かにこう言いました。
「自閉症ですね。あわせて、中度の知的障害があります」
その言葉が、ずしっと体に落ちてきた感覚を、今でも覚えています。
緊張しながら座っていた私の中で、先生の声だけが妙に大きく響いて、それ以外の音が遠くなったような感じでした。
目の前が、本当に真っ暗になりました。
そして、その瞬間に、心の中でこう思ってしまったんです。
「なんで普通の子じゃないんだろう。こんなに可愛いのに」
今思えば、なんてことを思ったんだろう、と振り返ります。「普通」って何だ、と自分にツッコミたい気持ちです。
でも、その時の私は、本当に何も分かっていませんでした。自閉症が何なのかも、知的障害が何なのかも、これから何が始まるのかも、何も知らない父親でした。
看護師さんが手渡してくれた、1冊の本
診察室を出て、廊下のソファに座っていた時のことだと思います。
「自閉症って、何なんだろう」
そればかり考えていました。スマホで調べようと思っても、何から調べていいかも分からない。頭の中がぐちゃぐちゃでした。
そんな時、声をかけてくれたのが看護師さんでした。
「もしよかったら、この本おすすめですよ」
教えてもらったのは、『2歳からはじめる自閉症児の言語訓練』という、藤原加奈江さんという方が書いた本でした。
帰り道に書店で買って、その夜から読み始めました。
読んでいくうちに、「ああ、自閉症ってこういうことか」と、少しずつ自分の中に落とし込めていく感覚がありました。
知らないから怖い。知らないから不安。知らないから絶望する。
知識が一つずつ入ってくると、目の前の真っ暗だった景色に、ほんの少しだけ輪郭が見えてきた気がしました。
あの看護師さんが渡してくれた1冊が、最初の光だったんだと、今でも思います🙏
妻との温度差に気づいた日
診断には、妻も同席していました。
私が目の前真っ暗で言葉も出てこなかった一方で、妻は私よりずっと落ち着いていました。
帰りの車で、なんでそんなに落ち着いていられるのか、少し話を聞きました。
妻には、子供の頃から「障害のある人が身近にいる生活」を経験してきた背景がありました。
詳しいことは妻のプライバシーなので書きません。ただ、その経験があったからこそ、診断という出来事を受け止める時の足腰のようなものを、妻は自然に持っていました。
私には、それが全くありませんでした。
夫婦でも、受け止め方はこんなに違うんだ。
その当たり前のことに、診断の日に気づかされました。
このことは、後でもう一度書こうと思います。
湯船で、長男と人生を終わらせようかと考えた夜
ここから書くのは、私の人生で一番弱かった夜の話です。
診断から、数日後の夜のことだったと思います。
妻は「男の子は、早めにお父さんとお風呂に入ったほうがいい」というスタンスだったので、その頃から長男とは男二人でお風呂に入ることが多くなっていました。
その日もいつも通り、お湯を張って、二人で湯船に入って、長男はお風呂用のおもちゃで遊んでいました。
私は湯船に浸かりながら、ぼんやりとその姿を見ていました。
そして、頭の中でこんなことを考えてしまっていました。
「この子は、結婚はできるんだろうか」 「子供を持つことは、できるんだろうか」 「仕事は、趣味は、自分のやりたいことを見つけられるんだろうか」 「全部、経験できないまま、人生を終わるんじゃないだろうか」
今思えば、何ひとつ決まっていないことを、勝手に決めつけて悲観していただけでした。長男の未来を、私が勝手に閉じていただけでした。
でも、その時の私には、それが「事実」のように思えてしまったんです。
そして、考えてはいけないことを、考えてしまいました。
「ここで一緒に、終わったほうが、この子にとっても楽じゃないか」
時間にしたら、2分か3分くらいだったと思います。
短い時間でしたが、本気で考えてしまっていました。
ふと、長男のほうを見ました。
おもちゃをお湯に浮かべて、それを掴んでは離して、にこにこ笑っていました。
- 何が楽しいのか、私には分からない。
- でも、長男なりに、今、楽しんでいる。
- 長男なりの楽しさを、長男なりに感じて、生きている。
その姿を見て、私の中の何かが、ふっと止まりました。
勝手に未来を閉じていたのは、私のほうでした。
今振り返ると、本当に最低なことを考えていたと思います。長男に対しても、妻に対しても、申し訳ない気持ちしかありません。
でも、当時の私は、本当にそう思ってしまっていた。
そのことだけは、隠さずに書いておきたいと思います。
「気の迷いだった」と気づくまでに、時間はかかった
お風呂のあの瞬間に、すぐ「気の迷いだ」と気づけたわけではありません。
数日、数週間、もしかしたら数ヶ月かかったかもしれません。
療育センターの先生の話を聞いたり、保健師さんに相談したり、自閉症の本を何冊か読んだり、特別支援学校の進路について調べたり、いろんな人の話を聞いて、いろんな情報に触れる中で、少しずつ少しずつ、自分の中の「真っ暗」が薄れていきました。
知識は、知っている人にとっては武器になる。 でも、知らない人には、何も助けてくれない。
私はそう思っています。
あの夜の私は、何も知らなかった。だから、目の前の長男の笑顔より、自分が作り上げた絶望のほうを信じてしまっていた。
知ろうとして、行動して、人に会って話を聞いて、本を読んで、それを繰り返していく中で、自分の中に「武器」が積み上がっていきました。
その武器が、ようやく私を「気の迷いだったんだ」と気づかせてくれたんだと思います。
療育に通い、施設を巡る中で、視点が広がっていった
診断のあと、長男は療育に通うようになりました。
私たち夫婦は、いくつかの施設を実際に見に行きました。
「どんな療育をしているんですか」 「方針はどんな感じですか」 「うちの子の場合はどう関わってもらえそうですか」
直接聞いて、見て、その上で選ぶ。それを夫婦で一緒にやりました。
子供のために動いていると、自然と知識が積み上がっていきます。療育の種類、福祉のサービス、特別支援学校・特別支援学級の違い、療育手帳のこと、放課後等デイサービスのこと。
最初は何も知らなかった分野が、気づくと自分の中に蓄積されていって、長男のことを判断する時の材料になっていきました。
逃げずに向き合うことが、結果的に、私自身を救ってくれたんだと思います。
私はもともと、子育てが好きなタイプです。子供の人生の決断の場面には、できるだけ妻と二人で立ち会いたい、と思ってきました。だから、療育選びも、施設見学も、就学相談も、全部、夫婦で動きました。
そういう関わり方が、私には合っていたんだと思います。
6歳で重度判定、それでも今、長男は笑っている
長男が小学校に上がるタイミングで、療育手帳の再判定を受けました。
結果は、中度から重度に変わりました。言語の発達がゆっくりだったことが、大きな理由だったと聞いています。
「重度」という言葉を聞いた時、もちろん何も思わなかったわけではありません。
でも、3歳の診断の時のような「目の前真っ暗」にはなりませんでした。
それは、この3年間で、自分の中に少しずつ武器が積み上がっていたからだと思います。重度になっても、これからやることは、これまでの延長線上にある。長男の人生は、長男のものとして続いていく。そう思えるようになっていました。
今、長男は8歳です。
天真爛漫に、ニヤニヤしながらいたずらをして、私に怒られて、それでも笑っています。
その姿を見るたびに、私はあの湯船での夜のことを思い出します。
長男なりに、人生を楽しんでいる。 あの時の私の考えは、本当に気の迷いだったんだ。 今、心からそう思えます。
3歳の頃の自分に、声をかけるとしたら
もし、あの診察室を出てきた直後の自分に声をかけられるなら、こう言いたいと思います。
「自閉症、知らなかったんかーい」
少しユーモアを混ぜて、そう言ってあげたい。
でも、続けてこう伝えたいです。
「あなたは、勉強家だったから、知らなかった自閉症についてもちゃんと知ろうとしたよね」 「本を読んだり、人に話を聞いたり、施設を回ったり、行動したよね」 「それが、自分の中の糧になって、自分を納得させられる武器になったよね」 「知らなかっただけだよ。知らないことは、悪いことじゃない」 「そこから知ろうと動いたあなたは、ちゃんと、偉い」
そう声をかけたいです。
今、お風呂で同じことを考えてしまっているあなたへ
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
もしあなたが今、私と同じように、お風呂で、夜の寝室で、車のハンドルを握りながら、同じようなことを考えてしまっているなら、お伝えしたいことがあります。
何年経てばどんな景色が見えるかは、人それぞれです。一概に「こうすれば大丈夫」とは言えません。
ただ、ひとつだけ言えるのは、そのままでいたら、悲観のままが続きやすい、ということです。
私の場合は、看護師さんが渡してくれた1冊の本がきっかけでした。 誰かにとっては、療育の先生の一言かもしれません。 別の誰かにとっては、同じ立場の親の体験談かもしれません。 保健師さんとの短い世間話かもしれません。
何が光になるかは、本当に、人それぞれです。
でも、行動しなければ、その光には出会えない、というのも事実だと思っています。
そのままで、家に閉じこもって、考え続けるのは、あまりおすすめできません。
自分が頼れそうな人を、一人でいいから探してみてください。 こういう生き方をしている人になりたいな、と思える誰かを見つけてみてください。 そこに、ほんの少しだけ近づける行動を、今日、何かひとつだけしてみてください。
- 電話を1本かけるだけでもいい。
- 本を1冊買うだけでもいい。
- 保健センターに「相談したい」と伝えるだけでもいい。
その小さな1歩が、いつか「気の迷いだったな」と振り返れる日に、つながるかもしれません。
私はそう信じています。
今、夫婦で話が合わずつまずいている方へ
もうひとつ、書いておきたいことがあります。
私と妻は、診断の受け止め方が全然違いました。
妻は落ち着いていて、私は目の前真っ暗だった。 妻は障害が身近にある環境で育って、私はそうではなかった。
受け止め方が違うのは、自然なことです。
だから、夫婦で温度差があることそのものに、罪悪感を持たなくていいと思います。
ただ、同じ方向を向くためには、今自分が何を考えていて、どこに向かいたいのかを、お互いに共有することが大事だと感じています。
我が家の場合は、子供の決断の場面には、できる限り夫婦で立ち会う、というスタンスでやってきました。療育選びも、就学相談も、放課後等デイサービス選びも、全部、二人で施設を見に行きました。
それが、結果的に、夫婦の温度差を埋めることにもつながったと思います。
夫婦で話が合わないな、と感じている方は、一度立ち止まって「今、二人で何を考えているか」を、ゆっくり共有する時間を持ってみてほしいです。
責めるためではなく、同じ方向を向くために。
それだけで、ずいぶん変わると思います。
長くなりましたが、これが、私の人生で一番弱かった夜の話です。
今、同じところにいる誰かに、ほんの少しでも届けばと思って書きました。
長男は今日も、にこにこ笑っています😊 私は今日も、その笑顔に救われています。
それが全てです。